もう2017年も終わるなあと思い、今年なにやったっけーと考えていたんですが僕ももう29で20代最後の年末なので人生ごと振り返りたいなあと思いました。(振り返りすぎかもしれない)色々あったような無かったような。

大学をコスパで決めた

自分は中央大学出身なのだが決めた理由はコスパだった。3年のころ勉強していなくてひどい成績だった。正直地元の名前書けば受かるようなところに行きたいなと思っていたのだが親がマーチ以上じゃなきゃお金出さないぞと。大学は人脈と学歴を買いに行くところだからマーチ以上じゃなきゃコスパに見合わない。高卒で働けと。なるほど。それはお金出す側からするとまっとうな考えだなと思い、どうにか間に合う方法を考えた。

よくよく調べると中央大学の総合政策学部は国語と英語の2科目のみでしかもマーク式だった。これだったらオレでもいけるかもと思い、過去問を解いたがそりゃそうだが他の学校よりかなり問題数も多いし、平均点が高い。ただこのひたすらスピードで勝負するのは自分に合っているなと思い、ここ一点突破で受験した。結果は成功で数ヶ月の勉強でなんとかキャンパスライフを手に入れることができた。

わりかし、このときの戦略を考え、リソースを集中させる考え方は今でも役立っている。我ながらいい判断だったなと思っている。

バンドがチームのものづくりの面白さを教えてくれた

大学になぜ入りたかったか。それはバンドをしたかったからである。自分はベースを弾くのが好きでなおかつ曲作りが好き(今でも)

こんな感じの曲を書いている。この時人を誘い、曲を作るようになった。自分の曲作りの仕方は歌とギターコードつけてあとは丸投げする。各々のパートが肉付けをしていく。そして一緒に合わせながらあーだこーだいって作っていく。自分の思い描いていたものと違うものを違う人間が作り、そしてあわせていくと自分一人では想像できないものができていく。この面白さに惹かれていった。この経験がチームで物をつくる楽しさに目覚めた原体験だった。これはサービスづくりにもすごく共通している。

売れまくったぷち事業

学生の頃フリーペーパーを発行して売りまくっていた。理由は事業を自分で作ってみたかった。そしてホットペッパーなどのフリーペーパーを見ていて入り込めると思ったからだ。ホットペッパーなど飲食店のフリーペーパーはよく見かけると思うが、実はまあまあな値段がするし結構範囲が広い。正直わざわざ電車で行くような飲食店じゃないとコスパが見合わない。しかし、飲食店の殆どは商圏がさほど広くなく、1枠に数十万も払えない。なんでホットペッパー達がそこをカバーしないかというと会社である以上利益率の高いところをとるのが定石だからだ。印刷代よりも営業コストのほうがコスパが悪い。できるだけ高い案件を取り、部数を伸ばしたほうがいい。そこで会社という形式だとカバーしきれない商圏が狭く、数万規模で広告したい飲食店を主にフリーペーパーを発行した。これは非常に当たり、かなり売上をあげた。(とはいっても大した事ないが)この経験もビジネスというのはこういう局所戦もできる、大きさだけじゃないと思えていい経験になった。

起業も選択肢に入れた結果、大日本印刷にいった

よくなぜwebに関係ない大日本印刷に入ったのか?と聞かれる。たしかに他のweb系の企業でYなどから内定が出ていたが大日本印刷にした。理由は将来起業する可能性があったから。このときは可能性があったで確信ではなかった。ただ将来企業する時、自分の時代はwebだけで完結する事業ばかりではなくなっていること、あらゆる業界を知っておきたいなどの理由から下記の条件で探した。

  • toBの営業であること
  • あらゆる業界にリーチできる業界であること
  • 複数商材をあつかっていること

その条件だと大日本印刷は適切だったし、実際いい選択肢だったと思う。2年半ほど働いてやはり事業を作ってみたいと思い、起業した。

起業して全部すっからかんになった

起業した当初はなぜか根拠のない自信があってできるものだが、それが虚像だったなと知るのに時間はかからなかった。。。ただ幸運なのは一緒に創業してくれるエンジニアがかなり早い段階で見つかったことと彼といざこざが一切起こらなかったことである。人間関係が一番大変と色んな人から聞いたが自分は幸運にもこれは当てはまらなかった。しかし、事業はどれも小さく稼げるだけで大きい事業になりそうなものは生まれなかった。2年ほどたってやりたい事業のネタがつき、あきらめることにした。この時経験と共同創業者という友人以外本当になにもなくなりすっからかんになった。今思うと清々しいほどの失敗だった。

あまりリスクを感じなかった起業

ただじゃあこの起業をしないべきだったかというとそうは思っていない。この起業のおかげでこの後ピクシブにプロダクトマネージャーとして入社することになった。正直大日本印刷の営業からここにいくことはできないと思う。起業するときに正直失敗した時どうなるんだろうと想像した。しかし、その頃IT企業でコア事業が成熟化し、複数事業をやらないといけない企業が増えてくることは容易にわかっていた。そうなると事業の戦略をたて、組織を統率する人間が必要になってくるがそのスキルを磨くのに最も適しているのは起業してしまうことだと考えた。つまり、たとえ失敗しても事業の戦略をたてる、組織を統率する、そういったスキルを起業時に身に着けておけば失敗してもいく場所に困ることは無いだろうなと考えたのである。なのでリスクをそこまで感じていなかったし、実際思った通りの結果になった。

プロダクトマネージャーとして就職して

プロダクトマネージャーになり、まずは教育サービスを見た。プロダクトマネージャーとして事業を見るのと社長として事業を見るのはかなり共通点があるとは言え、もちろん違うところもあった。一番適応に時間がかかったなと思うのはサラリーマンのプロダクトマネージャーのメンバーは別にそのプロダクトマネージャーの思想に共感したわけでもその人と働きたいと思って入ったわけでは無いということである。起業した場合、入ってくれた人は多少なりとも自分を認めてくれた人だから組織の運営は最初からある意味信頼関係を気づけている状態になっている。しかしプロダクトマネージャーはそういうわけではない。信頼を築くことから始めないといけない。もっと言うと相手は自分の戦略、思想に共感できない人かもしれない。

仕事する上で当たり前のことではあるが社長の場合、自分にあった環境にできてしまう(それがメリットなんだが)しかし、サラリーマンの場合そういうわけにもいかない。これはすごくいい経験だった。

もともと他人の事を結構気にする方ではあったがかなり意識していったおかげで変わった気がする。下記をとくに気をつけるようになった

  • 戦略を理解してくれない、何度言ってもわからないはメンバーの責任ではなくマネージャーの責任。何度でもコミュニケーションを取らないといけないし、コミュニケーションにコストをかけることを惜しんではいけない
  • あらゆる職種に理解を示し、自分から歩み寄る。自分はエンジニアではないから分からないと投げたらコミュニケーションは取れない。時間の許す限り、他の職種の勉強もし、メンバーが自分への説明コストを下げれるように心がけるようになった。(今そのおかげでプログラミングは結構できるようになった)
  • メンバーが言ってくれなかったは通じない。いろんなことから察するように心がけた。最近残業が多くないか?タスクのモチベは上がっているか?口頭で説明した際の表情はどうだったか?

全部の経験が一貫していた

色々書いたがどれも一貫しているなあと思ったのは自分はチームでものづくりするのが好きだし、ずっとそれ関連をやっているなあと思った。今後も続けていきたいし、続けていけるようにスキルを磨きたい。